謝り→ひとの立場→思考の整理
やっぱり最初は更新が反映されるのがうれしくて
やっちゃいました、3回目の更新(笑)
けど、これからのためにもここでお約束をしたいと思います(自分に)
・毎日更新が目標ではありますが、逆に多くても更新は1日3回まで
じゃないと、SNSとの区別が自分のなかでつかなくなりますし、
そんなにいっぱい更新すると、何がいちばん新しいのかが直感的にわかんなくなってしまうと思うので。。
だから今日はこれで最後にします!
で、ちょうどいま目の前で「金スマ」がやってます。
「金スマ」と言えば、本づくりをする者にとって、とても大切で大きい存在。
味方になってくれたときに吹く追い風はとてつもなく強いのです。
そんな「金スマ」がここ2,3日とても話題になってましたよね。
それはベッキーさんの謝罪?が放送されるから。
動くリアルなベッキーさんを見るのはとても久しぶり。
そんな彼女を見るために、視聴率はとんでもないことになるんだろうな~とか思いながら、わたくしも足早に帰宅してきたのです。
そんなとき、ふと思ったのです。
「彼女はテレビの画面の向こう側のだれに謝るんだろう?」って。
そもそも彼女はなぜ謝るのか――
普通に考えれば、たしかに彼女は「悪いこと」をしたと思います(ぼくの物差しでしかありませんが)
なんで悪いのかって考えると、
風紀的とか、倫理的・道徳的に悪いから。
もっと平たく言えば、常識に反しているから。
けど、それだと単なる多数決みたいな感じもしてしまうので
わたくしなりに考えてみたんです。
で、ぼくが「悪い」って思う条件は、
自分がその人だと仮定したときに(この場合だとベッキーさん)
・誰かを傷つけたと思うか
・自分がしたことを後悔したとき
・自分がしたことを悪いと思ったとき
だと思ったんですね。
これも、本を読んだり、企画を考えるときに
「自分事かどうか」と考えるクセがついたからかもしれません。
そのとき、ふと思ったんですが
「芸能人の立場に立つのは、じぶんにはむり」だってこと。
「人の立場になって考えろと言われてはきたけど、
想像を超えて心は理解しがたいもの」
っていうMr.childrenの『口がすべって』の歌詞が思い浮かびました。
改めてこの言葉は言いえて妙。
けれど、ぼくら編集者はこの壁を越えようとしなければいけない。
それは、多くの人の悩みを解決しないと売れないから。
多くの人のうれしいを実現しないと売れないから。
この難しいことにチャレンジしつづけなくてはいけないのか~
と思った次第です(結論の着地点、へんなとこでしたね、すいません)
と、こんな感じでブログを書いていると、
着地点が編集者的なところにあって、
「これが思考の整理ってやつか~」と思ったんですね。
というのも、じつは今作っている本に
「ブログは思考の整理にうってつけ」ということが書かれているんです。
けど、ブログをやっていなかったぼくには
「なんのこっちゃ」って感じだったのですが、
いま妙に納得しています。
着地点が最初に想定していたところと違ってても(ここはぼくの未熟な点)、
途中から一人称が「わたくし」とか「ぼく」とかごっちゃになっていても、
読んだ人は「なにが言いたいんだ?」と思うかもしれなくても(これは本づくりでやってしまうと、読者のみなさまにとってその本が自分事にならなくなるので致命的)
「書く」=「思考の整理」なんだって学びました。
21時以降のすべての出来事に改めて感謝して今日を締めたいと思います!